広州・上海

 
 

日本がかつて目指した大東亜共栄圏。拠点となった上海は、日本統治時代の建物も多い。


あの頃は、東南アジアはぼろぼろで、ヨーロッパの植民地支配ばりばりだったのね。それを憂いた日本が先頭になって、いまでいうEUみたいなのを作ろうとしたのよ。いろいろあって結果的に敗戦したけど、戦争後はほとんどの植民地が独立できたのよね。試合に負けて勝負に勝つ、ってかんじ。


彼らは一度日本人として戦い、そしてそれぞれの国を作ることが出来た。 だから未だにインドネシアやマレーシア、パプアニューギニア(ラバウルがあったとこね)なんかの南の島の人は、親日的。


中国は、まぁあれだ、指導者の個人的な都合で日本を敵視することになったわけで。韓国は、まぁ、うーん。


うちのおじいさんは満州に出店したけど終戦で帰って来たよ。

尾道の奥の御調町出身なんだけど、つてがあって満州でお店をしないかと。で、終戦間際にロシア軍に捕らえられ、シベリアへ行進して行きかけたんだけど、上司というか軍隊の人が「自分が責任を取るから、逃げたいものは逃げてもいい」と言ってくれて、脱出。昼は隠れて、夜に移動を続ける。溝の中を移動して、なぜか中国人の服が「畳んで」置いてあったので着替え、もうすこしで大連ってとこで村人に捕まるのね。で、つるしあげられそうになったときに、現地の人が「やまさきさん、やまさきさん」って。お店をしていたときの、中国人のお客さんだった人が偶然そこの人で。助けてもらって、大連でおばあさんと長女と合流。


本人は昔のことはあまりしゃべってはくれなかったけど、日記があったのさ。

中国はスケールがちがうな。